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日本泳法・向井流お勉強ブログ
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『古老が語る 江東区の町並みと人々の暮らし〈上〉』から水泳記録を紹介します。
この本は昭和59年(1984)1月から昭和60年(1985)3月の間に、「古老」と称される人々から話を聞いたものをまとめた本になっています。
今回は、3人紹介のその①です。
その②はそのうちに^^

「古老」の名前・生まれ・職業、当時の住所が記されていたので、私もそのまま紹介します。
漢数字は読みにくいので、アラビア数字に直させて頂きました。
 
①岡島啓造さん
 明治36年8月15日茨城県生
 焼鈍業
 東砂7丁目在住
 流れの速い小名木川
 小名水川ってところは急流でしたね。上げ潮のときは、ものすごい勢いで流れてくる。船という船は、みんな両岸、止まっちゃうんです。通るのは、通運丸って船ぐらいなもんですわねえ。通運丸って、両脇に水車のついた船ですね。あれが走るくらいなもんで、上げ潮のときは船は絶対に通らなかったですね。
 またそこは、よく人がおぼれて死んだです。あんまり流れが速いんでね。私はそこでもって、よく水泳をやってましたね。一ぺん、やっぱり死にそこなったですね。上げ潮に泳ごうとしたんですよね。両脇に船かある、あいたと思って泳いだんですが、もう、流れが速くて、もとのところへ戻れないんですよ。こりゃ、いくら努力してもおれの泳ぎじゃ戻れないからと思って、流れに任せて高橋のほうへ流されていった。ちょうど船のないところがあって、助かったですね。あそこは水死体の多いところでした。
 
【岡島さんが川でよく泳がれていたのがわかります。小名木川が危険な川だったようですね。中島】 


 
②石川緑郎さん
 大正5年12月31日八名川町生
 米穀商
 新大橋2丁目在住
 遊び――空き地・川
 深川って、人情味ありますよね。うちのおふくろなんかも、長火鉢置いて、近所のおばさんたちが、年中入り込んでいましたね。
 子供のころは、メンコやベーゴマやったり、そこらの空き地へ行くと、いろんなガラクタが、金庫屋さんの古くなったやつだとかね、その中へもぐったり、登ったりして、チャンパラごっこやったり……。
 川でもけっこう泳ぎました。払なんか隅田川で水泳覚えたんだから。私の兄の小さい時分には、隅田川に水泳揚があったそうですよ。水練場といったんですね。〝何とか流〟なんていってね、抜き手で泳ぐね。甲冑をつけたり、刀をね。あんな水泳を教えていたんですよ。川の水が汚くなったっていうんで廃止になっちやった。私の小学校2、3年ごろじやないですか、震災後の。
 川が汚くなったっていってもね、今、運送屋さんになってるけど、あそこに、大きな空ビン屋さんがあったんです。そこから、ちょうど、川に入るのに具合がいいんですよ。川っぷちに着物脱いで、置いといて、あのほら、赤フンでね。それで交番のお巡りさんが、「コラッ! そこで泳いじゃ、いけないんだぞ!」なんて。「着物、持ってっちゃうぞ」なんてね。それでアワくってね。向こう岸まで、浜町岸まで泳ぎついてね。あんで泳ぎに自信がついたんだよね。
 引き潮んなったときは、掘ればゴカイなんか、けっこう缶詰の缶一杯ぐらいとれましたからね。こんど上げ潮になったときに釣りをする。けっこう釣れましたよ。高いさおなんか、買ったことないですから。竹屋さんに行って、1銭か2銭出して、もちざおのね。おふくろに縫い糸もらって、それで針金の先を一生懸命とんがらかしてね、作ったんですよ、自分で。けっこう、2、30センチくらいの、大きな、オボコみたいな魚がね、とれましたよ。
 
【石川さんがなんの流派を泳いでいたのかわからないのが残念です。
石川さんが大正5年(1916)生まれということは、隅田川の水が汚くなり水練場が廃止になったのは石川さんが小学校2、3年生の頃、大体大正15年(1926)くらいだと予想されます。
褌で泳いだり、お巡りさんに追いかけられたり楽しそうですね。中島】 


 
③遠藤藤吉さん
 明治41年4月22日西六間堀町生
 ガソリンスタンド経営
 新大橋3丁目在住
 共同水道の時代
(前略)
川の水はきれいだった。私は知りませんけど、親なんかが若いころは、あの、あれがとれたっていいますよ、あの、白魚が。明かりをつけてね、網
でしゃくうんだそうですよ、明かりに寄ってきた白魚が、みんな、網、入るんですよね。ええ。それほど、きれいだったんですよね。
 泳ぎは、裏が川でしたからねえ、その、六間堀の……。ええ、投げ込まれるくらいでしたから。子供んときに、しもでしばられて、廊下から川へ、放り込まれるようにして、覚えたんです。ええ。水上(警察)には、ずいぶん追っかけられました。もう、真夏のことですからね、シャツ、さるまた、かかえて逃げ回るんですよ。ええ。また水上が、けっこう根気よく追っかけて来るんですよね。こう、ボートで漕いで来ましたからね。巡査が一人乗りましてね、うしろへ、こう漕ぎ手が……。そいで川を見まわってたの。だから、見てて、行っちゃうと、また飛び込んで入るというようなこと、やっとりました。
 少し泳ぎが達者んなると、みんな大川のほうへ行って。ええ。で、あまり水死人なんてことは、聞かなかったですよ、そのときには。けっこう、みんな、地元の者は、泳ぎが達者んなりましたからね。
 そのころは、夜んなっと風情があったもんですよ。柳橋あたりから、屋形でもって、芸者さん
乗っけて……。旦那衆がその船で、一杯やってましたからね。ええ。
 そうかと思うと、両国の橋の手前に、船料理がありましてね。川の中に船を着けて、そこが、料亭んなってたの。で、そこへも芸者さんがけっこう入ってましてね、夜んなっと、若い物が、ボートで漕ぎ出してって、水ぶっかけたり、悪さしたもんですよ。
 
【 前半は共同水道の話だったので省略させて頂きました。
遠藤さんも水上警察との追いかけっこを経験されたようでうすね。
悪さができる余裕があるということは、泳ぎが上手な証拠です。中島】
 
 
『古老が語る 江東区の町並みと人々の暮らし〈上〉』江東ふるさと文庫④ 東京都江東区総務部広報課 昭和62年12月
①p43、②p54、③p57 より引用

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