向井将監政香
向井流8代目。父は向井将監政使。生没年不詳。(おそらく延享5年(1748)生まれ)
政香は政使の長男であり、宝暦7年(1757)6月9歳で家督を継ぎ、明和5年(1768)20歳で御船手となり水主84人を預かり、布衣を許された。父政使のときと同じに、この間11年は牧野織部成賢が目付に付き、御船手を兼務した。
天明6年(1786)6月17日、江戸で大雨が降り千住、本所、深川で出水の救助船を指揮し、12日間帰宅せず救出の指揮にあたった。
寛政に入ると外国船が日本近海に出没するようになり、老中松平定信は海防に力を入れ、相州浦賀で御船手の調練を盛んにおこなうようになった。これにより、寛政3年(1791)から政香は養子正直とともに相州浦賀、および三浦に交替で赴いて水主の海上調練を指導した。寛政6年(1794)8月検閲がおこなわれたが、政香が指導した水主の泳ぎは格別に勝れていると評価され、政香は賞与を賜った。このとき政香は病中であったため、名代として息子正直が城に赴き御賞の御墨付を賜った。
政香は息子正直と協力して、向井家系譜を整理して幕府に提出した。
参考文献
・竹原栄『向井流水法書』増補改訂 平成3.3.1 向井流水法会
・横須賀市教育委員会『横須賀市文化財調査報告書』第41集 2005.3.31 横須賀市教育委員会
向井流8代目。父は向井将監政使。生没年不詳。(おそらく延享5年(1748)生まれ)
政香は政使の長男であり、宝暦7年(1757)6月9歳で家督を継ぎ、明和5年(1768)20歳で御船手となり水主84人を預かり、布衣を許された。父政使のときと同じに、この間11年は牧野織部成賢が目付に付き、御船手を兼務した。
天明6年(1786)6月17日、江戸で大雨が降り千住、本所、深川で出水の救助船を指揮し、12日間帰宅せず救出の指揮にあたった。
寛政に入ると外国船が日本近海に出没するようになり、老中松平定信は海防に力を入れ、相州浦賀で御船手の調練を盛んにおこなうようになった。これにより、寛政3年(1791)から政香は養子正直とともに相州浦賀、および三浦に交替で赴いて水主の海上調練を指導した。寛政6年(1794)8月検閲がおこなわれたが、政香が指導した水主の泳ぎは格別に勝れていると評価され、政香は賞与を賜った。このとき政香は病中であったため、名代として息子正直が城に赴き御賞の御墨付を賜った。
政香は息子正直と協力して、向井家系譜を整理して幕府に提出した。
参考文献
・竹原栄『向井流水法書』増補改訂 平成3.3.1 向井流水法会
・横須賀市教育委員会『横須賀市文化財調査報告書』第41集 2005.3.31 横須賀市教育委員会
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